2012年3月17日土曜日

反省した。
毎年、咲けば、写真を撮りまくる。咲いていない時はほとんど撮った事がなかった。
昨日、川辺を歩いて見上げた桜の木は、まだこんな感じだった。


撮るつもりはなかった。当初。
だが、長い冬の
寒さを疑問に思ったり、春が来ないかなあと待ちこがれる気持ちは人間ばかりではないのだと、昨日はまだ堅いつぼみを見た時に思えた。一緒だ、この木。

最初に咲く花には注
目が集まる。ニュースになる。
一番最後に咲く花や、最後まで散らない花にも、今年は気持ちを向けてみようか。
私が桜だったら、きっと後の方で紛れて咲いて、その他大勢で散ってる類いだろう。

ああ、桜ごときにこんなに考えさせられる。やっぱり日本人に生まれて、ええい。悔しいよう〜嬉しいよう〜

2011年11月21日月曜日

近況

秋の終わり、まもなく師走。
とは思えない暖かさが続いてます。

昨日は、家族写真の撮影を依頼されたしょうちゃんのアシスタントとして、多摩センターの公園で、子どもたち(4歳、2歳)とじゃれ合う仕事を任されました。レフ板を持ちながらね。

楽しい。
子どもの柔らかさ、彼らの発想の無秩序な切り替わり、笑顔、突然の不機嫌、汗、水鳥、太陽、芝生、視線を低くしてみる事、アイスクリーム、跳ねる、転がる、追いかける、走ってお腹が空く事、、、、

自分の日常から少し離れた事をさせてもらえて大満足。

最近はグループのブログにせっせと書いておりました。
お時間ある方は、以下のアドレスにもお寄り下さい。

http://www.geocities.jp/sholoverfg/cn9/pg298.html


2011年5月7日土曜日

またゾルゲル運動する。

もし今の日本人の様子を、外から見れば、「檻を取っ払われたのに、逃げないで同じ小さな空間にじっとしている小動物」なのかも知れない、と思った事が有る。つい最近。

逃げても良し、逃げなくても良し、あるがままを受け入れて大丈夫。
という返答を、気功の先生から貰ったが、きっと日本人の多くは、あるがままを受け入れるのが得意なのだろう。ただ、真実に蓋をするのも習性かも知れない。自分だけは大丈夫、と思い込む癖も有るかもしれない。(放射能に関しての質問)


これが前置きになるかも、と思ってみたが、ならなさそうだ。


以下、話し変わって、昨日終わった6日間インプロの最終日に関して。
目標は無設定でのグループインプロ。
果たして、最後の5分間には、今回で「最ゆる」セッションになった。

1日前のテーマが、「せちがらいインプロ」。具体的に言うと、人から影響をいっさい受けないダンスをやり通す、ただし、人の起こす事も知りながら。
結構、ハード。心が荒んで夜は酒に頼りに行った人もいた程。
まあ、これはこれで私は嫌いじゃない設定。

明けて6日目。今度は、「人の気持ちに立つインプロ」。自分は一体他者に対してどんな存在/行動/刺激/情報なのか、をずっと考えて、それが動機になるダンス。

人の気持ちを察しながら情報を発する側と、それを受け、自分が主体となって反応する側。
2種類の人間が混在するダンスは、ぱっと見はごちゃごちゃだけど、成分はいたって円みが有る。おふくろの味って感じ。・・・?

ああ、時間がない!と最後の5分で、枠をとっぱらってみた。
縛りも設定もなく、お好みでどうぞ。
とは言え、当たり前ですよね。直前のことが一番強く影響するわけだし。
そして短くも素敵な藤の花の妖精のような(・・・?)セッションが出来た。


もし、このまま2時間くらい踊り続ければ、自分にも他人にも飽きて飽きて、どうしようもなくなった頃を迎え、それを乗り越えたあかつきに、新しい自由な人間と、その繋がりを見つけるかもしれないなあ、と思った。

檻を取っ払っても逃げない私たち。少し前まで存在した檻の格子を無意識の記憶にとどめつつ、自由である事を少しずつ確信する。少しずつはみ出してみる。ゾルゲル運動を繰り返して、最先端には勇気を持って。大人気(オトナゲ)で、わきまえた自由を獲得する。
それを外から見たら、今の地球や宇宙に住むものとして、最善の総意をもつ社会、だと良いなと思うに至る。

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2011年5月3日火曜日

インプロに戻る。震災の後も。

意味を見出した後のダンスは、それなりに愛おしい。
価値とか、強度とか、風味、モティベーション、、、
鈍くなりたくはない、本当に必要なものかどうかの判断。
日本中の人がきっとそうであるように、自分に問い直すこの春。


ゴールデンウィークは、セッションハウスで6日間の講座を持っている。
「グループ・インプロビゼーション」。
このタイトルを決めたのは、ずっと以前だったけれど、3.11が起きてから、まさに今、考えるべきテーマだったと思う。
今回も「100%の主張と100%の協調を、100%の時間」を目指す。
しかも、グループで。
ペアでも難しいのに、グループとなれば????
4日めが終わった現在、実はまだ本題に突入出来ないでいる。
もっと本質的、社会的、民主的(?)な設定で、「わたくし度」のレベルを常に知覚しつつ、自由奔放に即興をしたい、はず。後、2日。まだやることはある。が、寄り道せずに進むべきだとも思う。


ちっとも具体的に書いていないね。
きっと動き方を言葉で表しても、さっぱり面白くないだろうから、私のノートだけを記しておきたい。

比較的ルールのキツいインプロをしてみたら、飲み込みの速さや、ルールに正確である事に敏感な人達が多く、きついルールを楽しむモードにある。これもまた良し。
敢えて、そのルールに関して、「きつくてやでしょ」、と投げかけてみたら、無機的な動きで出来上がる構成が、有機的/人間的なものにちゃんとはみ出し始めて、やんちゃな小学生のような顔が見え始めた。しめしめ。
もっと自由になる、つまりもっと見失う事もあるよ、の設定にしたら、確信的に、もしくはうっかり無意識的に、無法地帯も出現。そしてそれを許していく周りの心。
少し大人の社会になってきた。。。。

その前半3日間を踏まえて、今日は、風流な連歌の世界。
上の句、下の句で創る歌(というか空間のデザイン)に、前説、あとがきのつもりで、ミニマムな動きを加えて、その間のポーズを支える。
この二人合作を、4人の世界(2人+2人)にして、鑑賞側のサポートや、イマジネーションに働きかける。
今日は、ゲストの6歳坊主に、その純真な心と身体の連動する様を見せてもらった。

今日までのは、少しずぼらな即席グループインプロ。
でも、カップヌードルって美味しいじゃん。って気分。
即席が悪いわけではない、と信じられる瞬間。
でもこの後、きちんと手間ひまかけて、その割には美味しくないね、という料理もしようと思う。
希望を持って。ね。

2010年10月7日木曜日

どがま 登場。

ハングルが読めないという理由から、炊飯器を諦めて鍋で米を炊いていたマダガスカルから来たGabi。
1ヶ月ちょっと前、ソウルでの事。
私にもハングルが解らなかったし、お米を買ってくるほど腰を落ち着かせられなかったから、ご飯を炊く事はしなかった。というか、実はお鍋とガスコンロで、ご飯を上手に炊く自信はなかった。

Gabiのご飯は、大成功!とても上手に仕上げていた。
私たちは日頃性能の良い(家のは普通だけど)スイッチひとつの炊飯器に甘やかされ、直火でお米を炊けない民族になりかけている。聞く所によると、マダガスカルは実はお米文化だそうで、ご飯を炊くのはきっと当たり前のことなのだと思う。でもでも。日本人として私はやはり少し、恥ずかしい。

夏の旅で、心残りだったことの一つ。
「ご飯を鍋で炊けるようになりたい!」



今日、実現した。
これ。


勿論、スーパーOKにて購入の土釜。(2年来、狙っていたやつ、3合炊き)
説明書の通りやってみると、何も心配する事はない。
もの凄い、大成功。
同じお米とは思えない程、美味しく美人のご飯が炊きあがった。
このご飯は、究極のソロパート。他は何もいらない、って域です。
満足満足。

で、問題は。。。



自分の勘を養う事。
説明書も時計も計量カップがなくても同じように美味しく炊けるようになる事。

ああ、それがもの凄く難しい事なんだ。
本当に鍋でご飯が炊けるようになるのは遠い道のりでしょうか。

2010年9月17日金曜日

調子に乗り、写真集。と言ってもon flicker。

やっと、季節が動いているのだと思える昨日今日。
秋の予感。

まだ気分は夏の旅行を引きずりながら生活しています。
あまり踊ってるシーンはないのですが、
自家製コンペ入賞写真をflickerにアップしました。

http://www.flickr.com/photos/chicokatsube/sets/

セットが4つありますので、選んだセットのトップをクリックし、
大きくなったら再び、その写真をクリックして下さい。
▶でスライドショーっぽく見れます。


まだビデオの編集にこれから取りかかる、の巻。
レイ・チャンとセバスチャンのダンスを早くお届けしたい、のに。

2010年9月7日火曜日

逃亡、終了。

夏。
異常な暑さを予測した訳ではないが、避暑のように逃亡した。

1ヶ月。滅多にない長い旅。
思いきってやってみた。
各地で踊った。
一番の・・・てなものはない。
どれもこれも、スペシャルであり、普通の事、ようにも思える。
臨機応変、カメレオンな自分がいて、頑固な自分もいて、取扱いは結構厄介だった。

人に出会った。知り合いにも、初めまして、にも。沢山。
「コンタクト・インプロ」の定義はさておき、人と交わって即踊るのが得意な人達が集まっていたので、どやどやと友達が出来た。face bookの友人が一気に増えた。世界中に宿泊所が出来た(ようなものだ)。
そして今後のwishがさらにさらに増えてしまった。


帰ってみたら、自分の家が他人の家のように思えた。
東京の色が違って見えた。

旅をすると、つかの間浦島太郎になれる。
「ここはどこなんだ?!今はいつなんだ?!」

竜宮城での記憶は、一度、瞬間ワープで遠のいていく。
まるで、現在現地点に早く適応しなさいよ、と言われているようだ。
暫くしたら、再び記憶の波にぷかぷか漂ったりするだろう。
そんな時間の余裕を、捻り出したい。