旅に出ている。
出る理由は、たくさんあった。しかし、旅が始まると、その理由付けは簡単に効力を失い、逆にそれが足枷にならないように自由な気持ちを保とうとしている。
心が、どのくらい動くのか。
昔の旅と、今回の旅で比べるものはその辺りかもしれない。
東京から始まり、アイダホ、ニューヨーク、ヘルシンキ、ソウル、と、東へ東へと地球を一周する旅程。
旅の道連れ、しょうちゃんはカメラ3台携えての野望の旅でもある。
今は、ヘルシンキから電車とバスで小2時間のKisakeskusで行なわれているコンタクト・インプロビゼーションのイベントに参加中。
ヨーロッパをはじめ、アメリカやイスラエル、ブラジルなどから講師レベルのインプロバイザーが集っての催しだ。およそ70名の参加で、自発的にいなければ何も収穫がないようなシステム。
森の中にゆったりと作られたスポーツ施設で、宿泊も食事も全てが整っている。
初めてのフィンランド。
その清潔さもさることながら、フィニッシュの使うジョークが自分のジョークの傾向と似ている事に、密かにほくそ笑む日々。
ここまでの旅をダイジェスト。
アイダホは、ポテトしか浮かばなかった脳みそに、「地球の表層筋」のような大地のうねりは、本当に新鮮な驚きだった。
沙漠色の大きな丘は、季節ごとに表情を変えていくらしく、とても珍しくて美しい。家々は平屋のくせに広々とした間取りで冷蔵庫は3つ、そして必ず自前の畑と巨大なバーベキューセットがある。(プールまである家も珍しくない・・・)
マイケルの家族に会う。彼の成り立ちが大きく頷ける家族だ。お父さん以外は、ずっとしゃべり続けられる成分を持っている。
マイケルの兄、トムはピアニストでパイプオルガン奏者。ビブラホン奏者を加え、ダンサー4人と、教会でパフォーマンスを行なった。
200名を越える観客が集まり、彼らの人脈の凄さに驚きを隠せない。めったに即興のダンスパフォーマンスを見る事がない観客たちは、相当、驚いたようで、その驚きを拍手と賛辞で表現してくれた。
が、喜ぶのは早かった。マイケルが出演直前に足首の故障。しょうちゃんは公演中に腰をギクッ!と一発。神様の前で踊るにはいささか信心が足りなかったか・・・・
なかなか飛ばない飛行機のお陰で、NY到着は朝の6時。
久々のNYで、まず思うのは、人間の心と身体の醜さ。街の汚さそして臭さ。
大きな都会であることの、どうしようもない要素なのか、とにかく気分がネガティブに向かい始める。その事を食い止めるには、自分も人間を落とすか、馴染むしか無く、馴染む勇気や、避ける財力がなかったから15年前にNYに住む事を止めた。
今回は1日半の観光客だから、全てを受け入れてジャッジしないで楽しもう。この街の匂いも、喧噪も、衛生的でない事も、全てが懐かしい。これらは全て、パワーなんだ、と。
尊敬するニューヨーカーであり、もはやむしろ「日系人」、尚子さんが教えるジャイロキネシスのクラスを受けて、背骨が嬉しそうに伸びた。フルフルしている。このお陰で大西洋を渡る飛行はとても助かった。
初めての国、フィンランドに到着する。その前に飛行機はデンマークに降りるが、あまりの接続時間のなさに、腰痛のしょうちゃんをせかせて、コペンハーゲン空港を1キロくらい一気に走って駆け抜けた。北欧デザインの粋をゆっくり楽しむどころではない。
さて、フィンランド。
ECITEの行なわれているこの片田舎は、なんと言っても、その自然が凄過ぎ。
湖畔に広がる美しく、素朴な施設は、それぞれの活動に集中しやすい為の配慮がなされているが、私達にとっては、二度と来れないかもしれない贅沢なロケーション。
踊る事を忘れ、
森を見ては、「ほ〜〜〜」、
湖を見ても「ひぇ〜〜〜〜〜」、
サウナに入っても「ふはぁぁ〜〜〜〜」。
感嘆詞が足りない、愛でるボキャブラリーが足りない、日本語って不自由。
昔の旅に比べて、皆の喋る英語が分かってきた分、自分の中に準備出来る表現方法がいかに足りないかを痛感し、無言で終わってしまう時間もある。
国際感覚、と一言で言っても様々だが、自分にとっては、「気の利いた事を、言葉少なく、ドンピシャなタイミングでグサッと差し込む」事が出来れば、結構、国際人である、と思っている。
ここで行なわれるコンタクト・インプロビゼーションは、特に風変わりでもないけれど、当たり前に、接触系、リフト系、うっとり系、技術系が多い。この人たちの中にいると、いかにコンタクト・インプロが自分から遠いものであるかが分かる。日本人であることか、年齢的に既に上半分に属する事か、海外イベント参加が久しぶりな事など、言い訳(?)はあるが、本当はそんな事ではなく、自分自身が、コンタクト・インプロバイザーではないのだ、という事。
だからどうしなきゃ、とは思わないが、そんな自分をここにもしっかり置ける人間でありたいと考えている。
踊っていますよ。
様々なアプローチで。
ガツンとしたものはまだないけれど、じわりと心は動いている。